18日。部屋の収納レイアウト更新計画を練っていたら一日が過ぎ去っていったということ。まあ休日らしい休日である。
19日。昼ごろに免許更新、午後は大学で少しだけ作業と授業、夜に帰宅。更新はスムーズに行ってOK。なんだか写真で少し微笑んでしまったが御愛嬌ということでw
しかしもう3年も経ったのか。あまり乗っていないが、一回一回の移動距離はやたら長いという。
19日。昼ごろに免許更新、午後は大学で少しだけ作業と授業、夜に帰宅。更新はスムーズに行ってOK。なんだか写真で少し微笑んでしまったが御愛嬌ということでw
しかしもう3年も経ったのか。あまり乗っていないが、一回一回の移動距離はやたら長いという。
16日、久しぶりに朝に栃木からの間違い電話があったらしいw 睡眠妨害である。この日は一日渋谷で仕事。なかなか長引いた。某研究室の後輩と一緒に帰ってきた。このあたりCSでしっかりとヤクルトを応援していたはず。
17日。ふたたび出掛ける。池袋を本格的に回ったのか。相変わらず財布候補が見つからない。
17日。ふたたび出掛ける。池袋を本格的に回ったのか。相変わらず財布候補が見つからない。
14日。免許更新の予定を急遽変更し、貨物撮影に。まずは鶴見川、そして早川根府川の定番撮影地。今日もまた完全なる晴天に恵まれ、ニーナ、そしてロクヨン原色を仕留められた。早川駅から往路はタクシーを使うなど、すこし贅沢な撮影。帰路は完全に腰がおかしくなっていたが、まあよし。収穫は十分にあった。
15日。朝は最寄り路線が乱れていたようで少々めんどくさいことに。夜まで作業をしていたらしいが、進捗はろくでもなかった模様。どうもこの時期あまり上手くいっていなかったらしい。
15日。朝は最寄り路線が乱れていたようで少々めんどくさいことに。夜まで作業をしていたらしいが、進捗はろくでもなかった模様。どうもこの時期あまり上手くいっていなかったらしい。
12日、祝日。珍しく県境を越えて遊びに行ったっけ。昨日入手したロングジャケットをさっそく着た記憶。帰路は列車遅延に巻き込まれるも、遠回りして座って帰った。
あ、昨日の記事は間違い。今日ロッテが勝って、西武を下したのだった。
13日。終日実験。朝も早く夜も遅く、なかなか大変だった。
あ、昨日の記事は間違い。今日ロッテが勝って、西武を下したのだった。
13日。終日実験。朝も早く夜も遅く、なかなか大変だった。
10日。自宅休養。何もしていない気がする。CSを見ていたらしい。ロッテが勝ったはず。
11日。少し街に出る。大久保の某店と、新宿駅ビルまで行ったのか。わりと買い物した。良い買い物であった。
CSではロッテが負けてしまった。福浦・クルーズのファインプレー、この日かな?
夜はNスペのサメの特番を見ていたらしい。カメラに下から急浮上して噛みついてくる映像はなかなかのインパクトであった。
我ながらよくメモが残っているw
11日。少し街に出る。大久保の某店と、新宿駅ビルまで行ったのか。わりと買い物した。良い買い物であった。
CSではロッテが負けてしまった。福浦・クルーズのファインプレー、この日かな?
夜はNスペのサメの特番を見ていたらしい。カメラに下から急浮上して噛みついてくる映像はなかなかのインパクトであった。
我ながらよくメモが残っているw
8日、午前は会議、午後は貨物撮影に抜け出す。ニーナが東海道を1077レで下るので、茅ヶ崎へ。これまた完全なる晴天に恵まれて、一本釣りは成功。このほか215の試運転、相模線205の試運転、EF64 1032単機回送と、比較的ネタは多かった。
帰路、撮影地を後にしてすぐ、白猫が車にはねられて死んでいた。秋の午後、穏やかな陽射の下、ひときわ白く光るその身体が、哀しくて綺麗だった。どうか安らかに眠れ、何もしてやれなくてすまない。
夕方は再び研究室に戻り実験補助。
9日。一日作業、夕方には帰宅。おそらく淡々と進んでいったのだろう。思えばこのあたり、何の作業していたのだろう?M寺関連だろうか。
帰路、撮影地を後にしてすぐ、白猫が車にはねられて死んでいた。秋の午後、穏やかな陽射の下、ひときわ白く光るその身体が、哀しくて綺麗だった。どうか安らかに眠れ、何もしてやれなくてすまない。
夕方は再び研究室に戻り実験補助。
9日。一日作業、夕方には帰宅。おそらく淡々と進んでいったのだろう。思えばこのあたり、何の作業していたのだろう?M寺関連だろうか。
6日。何かちょっと思うように行かなかったことがあったようだ。夜は帰宅直前に酔っ払いのチャリにぶつかられかけて本気の怒号を街に響かせる。狼成分が残っているので、こういうことを突然してしまう。もうしないようにしよう。
7日。一日、実験の手伝い。水曜日か。
このあたり、非常に毎日よく晴れていた覚えがある。
7日。一日、実験の手伝い。水曜日か。
このあたり、非常に毎日よく晴れていた覚えがある。
もはや2ヵ月ほど更新が滞ってしまっている。
4日。といっても10月。出掛けた気が。新宿に出たのか。いろいろ買い物…ウィンドウショッピングが殆ど。その後池袋も見たっけ。財布を新調しようとしているのだが、なかなかめぼしいものが見当たらず。珍しくケーキを食すなど。まあバースデイ近かったからな。
5日。
どうやら留学生対応に追われて一日が終わったらしい。郵便局行ったとかかな…
とくに何も無かったということ。
4日。といっても10月。出掛けた気が。新宿に出たのか。いろいろ買い物…ウィンドウショッピングが殆ど。その後池袋も見たっけ。財布を新調しようとしているのだが、なかなかめぼしいものが見当たらず。珍しくケーキを食すなど。まあバースデイ近かったからな。
5日。
どうやら留学生対応に追われて一日が終わったらしい。郵便局行ったとかかな…
とくに何も無かったということ。
3日。髪を切りに行く。伸ばしていた前髪を、残しておいてくれと頼むのを忘れたので、1ヶ月分短くされてしまった。しまった。それ以外はOK、久々に襟足をだいぶ詰めたので気分が良い。
その後は服屋などをめぐり(久々に店員と話し込むなど。あとあと聞いたらその店舗は直営店で、その方は店長さんだった。どうりでいろいろデザインや生地に詳しかった訳か)、結局靴下だけ買って帰宅。いやしかし、ロングジャケットといいレザーのパーカーブルゾンといい、どちらも垂涎ものであった。まだ余裕もあるし、おそらく旅の予定もないので、散財してしまおうか…もう少し検討しよう。
さて。
その後は服屋などをめぐり(久々に店員と話し込むなど。あとあと聞いたらその店舗は直営店で、その方は店長さんだった。どうりでいろいろデザインや生地に詳しかった訳か)、結局靴下だけ買って帰宅。いやしかし、ロングジャケットといいレザーのパーカーブルゾンといい、どちらも垂涎ものであった。まだ余裕もあるし、おそらく旅の予定もないので、散財してしまおうか…もう少し検討しよう。
さて。
2日。某仕事の締切と、某ミーティングと。その後は英会話の一日。2年前のこの日も英会話(1対4)ばかりになっていたのを思い出す。初対面の外国人たちと仲良くなって、いろいろ連れていったり手続きを済ませるなど。まだまだ来週くらいまでは忙しくなりそうだ。せっかくの機会だからもっと仲良くなっておきたいものだ。
しかしまあ、そんな人々に今日が僕にとってちょうど生後四半世紀の記念日であることなど打ち明けられないものだ。2年前も後からカミングアウトせざるを得ない状況になって「マジかよ~」な流れになったのを思い出すw
手続きとガイドをしていたらそこそこ遅い時間になっていた。帰宅すると19時、そこからは燕vs虎の試合にかじりつく。西岡への決め球でインコースを選択したのは大きな間違いだと思う。鳥谷が内の直球を捌いたのは単純に凄過ぎて、関本への初球は不用意だった。その後も再三のチャンスを作るも野球の神様はなかなか簡単には勝たせてくれない。上田も浩康もヒーローにはなれず。しかし、粘り強さと集中力の高さという意味で、今年を象徴するゲームだったともいえるだろう。後ろの投手陣がしっかり粘り切り、打つべき人が打つ。雄平の最後の一打は技あり。この試合で行き当たりばったり系の遊ゴ・三ゴが目立っただけに、ある程度強気に引っ張ってほしいと思って見ていると、案の定打球は一塁線へ。振り抜いていれば切れる打球だが、止めながら打つ彼の技術が光った打撃だと思う。本拠地最終戦で決めてくれて何より嬉しかった。さすがに感極まって泣いた。
14年はあまりにも長かった。
しかし、真中監督で優勝するとは、14年前に誰が考えただろうかw
新たな名将の誕生となるか。短期決戦にも期待である。
記憶に残る一日となった。
しかしまあ、そんな人々に今日が僕にとってちょうど生後四半世紀の記念日であることなど打ち明けられないものだ。2年前も後からカミングアウトせざるを得ない状況になって「マジかよ~」な流れになったのを思い出すw
手続きとガイドをしていたらそこそこ遅い時間になっていた。帰宅すると19時、そこからは燕vs虎の試合にかじりつく。西岡への決め球でインコースを選択したのは大きな間違いだと思う。鳥谷が内の直球を捌いたのは単純に凄過ぎて、関本への初球は不用意だった。その後も再三のチャンスを作るも野球の神様はなかなか簡単には勝たせてくれない。上田も浩康もヒーローにはなれず。しかし、粘り強さと集中力の高さという意味で、今年を象徴するゲームだったともいえるだろう。後ろの投手陣がしっかり粘り切り、打つべき人が打つ。雄平の最後の一打は技あり。この試合で行き当たりばったり系の遊ゴ・三ゴが目立っただけに、ある程度強気に引っ張ってほしいと思って見ていると、案の定打球は一塁線へ。振り抜いていれば切れる打球だが、止めながら打つ彼の技術が光った打撃だと思う。本拠地最終戦で決めてくれて何より嬉しかった。さすがに感極まって泣いた。
14年はあまりにも長かった。
しかし、真中監督で優勝するとは、14年前に誰が考えただろうかw
新たな名将の誕生となるか。短期決戦にも期待である。
記憶に残る一日となった。
30日。最低限のタスクと、午後の会議と、その後は…そうだ、倫理講習のようなものをやらなければならなかったので、それに充てるなど。
(あ、タスクが溜まっていることに気付いた(3日執筆))
1日。はやくも10月である。やれやれ。午前中は大掃除、午後は会議に代理出席(ねむすぎてやばかった)、夜は別の会議で発表も。なんだかダメな部分が出まくった一日であった。あまり思い返したくないが、どうもやっぱりモチベーションが明らかに欠落しているのだろう。ウマが合わないだとか、そういう問題なのか、あるいはもっと純粋な問題なのか、それとも自身の内面の問題なのか。まあそれら全てが重なり合っているのだろうが、どうしたものか。
だからこそ後回しにしていてはいけないと思うのだが。
試合は雨天中止。明日が決戦か。
(あ、タスクが溜まっていることに気付いた(3日執筆))
1日。はやくも10月である。やれやれ。午前中は大掃除、午後は会議に代理出席(ねむすぎてやばかった)、夜は別の会議で発表も。なんだかダメな部分が出まくった一日であった。あまり思い返したくないが、どうもやっぱりモチベーションが明らかに欠落しているのだろう。ウマが合わないだとか、そういう問題なのか、あるいはもっと純粋な問題なのか、それとも自身の内面の問題なのか。まあそれら全てが重なり合っているのだろうが、どうしたものか。
だからこそ後回しにしていてはいけないと思うのだが。
試合は雨天中止。明日が決戦か。
28日。午前の作業は捗らず、午後は別の実験の手伝いなどなど。これまた気付けばそこそこ遅い時間になっていた。缶ビールだけ御馳走になって、帰宅は22時半頃。身体をかなり動かす作業が多かったので、だいぶくたびれた。
29日。作業のために研究室に赴こうとするも、身体がそれを拒んだ。昼もかなり爆睡して、一日完全休養日となった。夕方からは燕vs鯉。プレイボールからTVにへばりついて見ていたが、結果は敗戦。被本塁打は配球ミスだっただろう。なかなかすんなりいかないのが野球である。だからこそ面白いのだが、気が気でない。
結局今日を休養日としたことで、オプションのタスクを完全にナシにしてしまったということになるのだが、もういいや。そんなに真面目に生きていられぬ。
やはり循環が僕のところで終わってしまうように思う。割を食うばかりに思えてくる。
何をもって自己肯定するのか。やれやれである。
29日。作業のために研究室に赴こうとするも、身体がそれを拒んだ。昼もかなり爆睡して、一日完全休養日となった。夕方からは燕vs鯉。プレイボールからTVにへばりついて見ていたが、結果は敗戦。被本塁打は配球ミスだっただろう。なかなかすんなりいかないのが野球である。だからこそ面白いのだが、気が気でない。
結局今日を休養日としたことで、オプションのタスクを完全にナシにしてしまったということになるのだが、もういいや。そんなに真面目に生きていられぬ。
やはり循環が僕のところで終わってしまうように思う。割を食うばかりに思えてくる。
何をもって自己肯定するのか。やれやれである。
26日。ひたすら作業。頭がおかしくなるかと思うほど、オーバースピードで何とか間に合わせた印象。夜は家族と某舞台を見に行く。僕自身も非常に好意的に見ていた俳優が主演、さらには助演もみな名実一体の名優(というほどのベテランではないか。)たちで、見応えは十分であった。誰も救われないエンディングも好みであった。とりあえずノイローゼだったり狂人だったりを軸に描いていれば楽しめるのかもしれないが。
テクニックか、ノイローゼか。あの日の僕はどっちだったのだろう。ふと、思い返してしまう。
27日。今日も今日とてまた作業に追われる。昨日のうちに少し先取りしておいたので、夕方までには終了。その後はぐったりと休む。
完全なる平日扱いである。
テクニックか、ノイローゼか。あの日の僕はどっちだったのだろう。ふと、思い返してしまう。
27日。今日も今日とてまた作業に追われる。昨日のうちに少し先取りしておいたので、夕方までには終了。その後はぐったりと休む。
完全なる平日扱いである。
24日。午前は会議、午後は…あれ。確か何かしらのタスクに追われたような気がするが、もはやあまりよく覚えていない。夕方には実験手伝い、意外と夜遅くまでかかり、帰宅は23時すぎであったか。最近はあまり遅くならないパターンにしたいがために早めに帰宅しているので、この時間ですら遅く感じる。
25日。この日は淡々と過ごした印象。そこそこ出入りの多い日々だったので、少しゆっくりと過ごす。しかしタスクが大幅に増えてしまったので、土日は作業に充てねばなるまい。
やれやれ。いろいろな物事が後回しになってゆく。
25日。この日は淡々と過ごした印象。そこそこ出入りの多い日々だったので、少しゆっくりと過ごす。しかしタスクが大幅に増えてしまったので、土日は作業に充てねばなるまい。
やれやれ。いろいろな物事が後回しになってゆく。
栃木小旅行その2、そして秋分
2015年9月23日 日常
22日。朝はのんびりと出発し、昼前に足利に到着。駅北の観光施設にてレンタサイクルを借りる。昼食は喫茶はせがわのハヤシライスを頂いた。どうやら香草が多く含まれているようで、タマネギベースの焦げ味と相まって実に美味である。店横の柴犬が実に大人しく(あるいは大人びているというのが正しいか)、印象的であった。
その後は足利学校、鑁阿寺、織姫神社を巡る。道中で見つけた足利東映プラザ劇場の廃墟はなかなか味わい深かった。さすがに内部までお邪魔することは時間の都合上叶わなかったものの、道にかかるゲートというか、名前が堂々と掲示されている様はなかなかに主張とアクが強かった印象。
その後は日帰り入浴可能な温泉施設に行き、昨日の大金温泉の借りを返す。かなり家族連れや地元の中学生が多く、賑わっていた。コーヒー牛乳が美味い。そして入湯後のサイクリングは絶妙に気持ち良いものである。ちょうど計画通り日没前、幸い晴れていたので、渡良瀬橋のかなたへ消えゆく落日を見送ることに。森高千里、そして松浦亜弥。あの歌は渡良瀬橋「で」見る夕日、なので、僕が立った視点は第三者視点である。派手さは無いが、淡い色彩の味わい深い夕暮れであった。日没とともに気温がぐんぐんと下がり、東武の駅のほうにレンタサイクルを返却、そのまま久喜まで戻り、夕飯を食べ、帰宅となった。
束の間の非日常、のんびりした行程にしようと、明確な目的と意思を持ったハードな旅程にしようと、時が経つのが早いことに変わりはないのかもしれない。
23日。研究室へ。実験補助のほか、少しタスクを進める。昨日の疲労もあるので、早々に退散。
思えばもう秋分である。早いものである。ついこの間夏至だったように思ってしまう。舞鶴・奈良からも2ヶ月が経った。ガチな鉄道撮影はずいぶんご無沙汰しているなあと、昨日の適当な撮影で思った。T18を見送ったのが最後であり、思えばあれももう4ヶ月も前の話になる。恐ろしいものだ。
誰も、何も、待ってはくれない。
■写真
1枚目:鑁阿寺
2枚目:足利東映
3枚目:渡良瀬橋を見遣る
その後は足利学校、鑁阿寺、織姫神社を巡る。道中で見つけた足利東映プラザ劇場の廃墟はなかなか味わい深かった。さすがに内部までお邪魔することは時間の都合上叶わなかったものの、道にかかるゲートというか、名前が堂々と掲示されている様はなかなかに主張とアクが強かった印象。
その後は日帰り入浴可能な温泉施設に行き、昨日の大金温泉の借りを返す。かなり家族連れや地元の中学生が多く、賑わっていた。コーヒー牛乳が美味い。そして入湯後のサイクリングは絶妙に気持ち良いものである。ちょうど計画通り日没前、幸い晴れていたので、渡良瀬橋のかなたへ消えゆく落日を見送ることに。森高千里、そして松浦亜弥。あの歌は渡良瀬橋「で」見る夕日、なので、僕が立った視点は第三者視点である。派手さは無いが、淡い色彩の味わい深い夕暮れであった。日没とともに気温がぐんぐんと下がり、東武の駅のほうにレンタサイクルを返却、そのまま久喜まで戻り、夕飯を食べ、帰宅となった。
束の間の非日常、のんびりした行程にしようと、明確な目的と意思を持ったハードな旅程にしようと、時が経つのが早いことに変わりはないのかもしれない。
23日。研究室へ。実験補助のほか、少しタスクを進める。昨日の疲労もあるので、早々に退散。
思えばもう秋分である。早いものである。ついこの間夏至だったように思ってしまう。舞鶴・奈良からも2ヶ月が経った。ガチな鉄道撮影はずいぶんご無沙汰しているなあと、昨日の適当な撮影で思った。T18を見送ったのが最後であり、思えばあれももう4ヶ月も前の話になる。恐ろしいものだ。
誰も、何も、待ってはくれない。
■写真
1枚目:鑁阿寺
2枚目:足利東映
3枚目:渡良瀬橋を見遣る
作業、そして栃木小旅行その1
2015年9月21日 日常 コメント (2)
20日。自宅で作業に徹する。具体的に何をしていたのか…まあ幾つか抱えていた案件のどれだったかをやっつけていたはず。ネパール絡みだったか。その後、翌日の予習など。
21日。突貫旅程で栃木へ。特に撮影行という訳でもなく、ただ勝手知ったるローカルエリアに足を運びたかったので、烏山方面へ。アキュムに初乗車。うんざりきた。龍門の滝は先日の大雨の影響で依然として水量が異常なほど多く、瀑布と形容するにふさわしい威容であった。思わず過去の訪問時の写真と見比べてしまったが、水量はざっと見るに平常時の4倍はあったのではなかろうか。
あたりには彼岸花が数多く咲いていた。今年は冷え込みが早い分、例年よりも開花がわずかばかり早いような印象である。滝駅から小塙駅まで散歩し、ちょっとばかり撮影も行いながら、ぼんやりのんびりと過ごす。夕刻になり大金温泉に赴くも、なんと日帰り温泉の施設が壊れているとのこと。やれやれ、折角のキハ40に1駅しか乗れず。1本後のアキュムで宇都宮に戻り駅前を見遣れば、まだ18時半だというのにありとあらゆる餃子店に恐るべき長さの行列が。昨年2月に訪問した餃天堂に入れればと目論んでいたのだが、そんな計画はあっさりと砕け散った。辛うじて回転の速かった店(これまた昨年2月に訪問したもうひとつの店である)に行き、満腹に。宿は小山に確保していたので、そこまで移動。
比較的のんびりと過ごす一日であった。
■写真
1枚目:実りの季節へ(小塙~滝)
2枚目:彼岸、朱の共演(滝~小塙)
3枚目:秋風を連れて(小塙駅)
21日。突貫旅程で栃木へ。特に撮影行という訳でもなく、ただ勝手知ったるローカルエリアに足を運びたかったので、烏山方面へ。アキュムに初乗車。うんざりきた。龍門の滝は先日の大雨の影響で依然として水量が異常なほど多く、瀑布と形容するにふさわしい威容であった。思わず過去の訪問時の写真と見比べてしまったが、水量はざっと見るに平常時の4倍はあったのではなかろうか。
あたりには彼岸花が数多く咲いていた。今年は冷え込みが早い分、例年よりも開花がわずかばかり早いような印象である。滝駅から小塙駅まで散歩し、ちょっとばかり撮影も行いながら、ぼんやりのんびりと過ごす。夕刻になり大金温泉に赴くも、なんと日帰り温泉の施設が壊れているとのこと。やれやれ、折角のキハ40に1駅しか乗れず。1本後のアキュムで宇都宮に戻り駅前を見遣れば、まだ18時半だというのにありとあらゆる餃子店に恐るべき長さの行列が。昨年2月に訪問した餃天堂に入れればと目論んでいたのだが、そんな計画はあっさりと砕け散った。辛うじて回転の速かった店(これまた昨年2月に訪問したもうひとつの店である)に行き、満腹に。宿は小山に確保していたので、そこまで移動。
比較的のんびりと過ごす一日であった。
■写真
1枚目:実りの季節へ(小塙~滝)
2枚目:彼岸、朱の共演(滝~小塙)
3枚目:秋風を連れて(小塙駅)
18日。研究室に行くつもりだったが、どうも気乗りしなかったので、街に出る。土曜と入れ替え。久々に少しだけ買い物をしようとするも、大した収穫は無し。久々にヒトカラなるものをする。20人ほどの大部屋に一人通された違和感。それはともかく、この1~2年で確実に歌がうまくなったと確証を持って言える。自分の話し声は世界中の人間全員の中でも下から数えてすぐだと言えるほど嫌いなのだが、歌声はだいぶ自分で好きだと思えるようになってきた。倍音の入れ方なのか。
19日。昨日と入れ替えて、今日は研究室へ。久々に暑い。淡々と作業するも、そこまで捗らず。夕方には強烈な眩暈に襲われ、吐き気まで催す始末。汚れた台所の清掃が悪影響だったのか…?(使った人が綺麗にしてくれ。。)
なんとか水分を補給しながら帰宅して、今に至る。ほぼほぼ快復。今日は燕が勝った。
いやはやしかし、この四半世紀でおそらく最も強い眩暈だったと思う。原因不明なのがまた気持ち悪いが、とにかく安静にするほかないだろう。今週は動きの多い一週間だった。
さて。
19日。昨日と入れ替えて、今日は研究室へ。久々に暑い。淡々と作業するも、そこまで捗らず。夕方には強烈な眩暈に襲われ、吐き気まで催す始末。汚れた台所の清掃が悪影響だったのか…?(使った人が綺麗にしてくれ。。)
なんとか水分を補給しながら帰宅して、今に至る。ほぼほぼ快復。今日は燕が勝った。
いやはやしかし、この四半世紀でおそらく最も強い眩暈だったと思う。原因不明なのがまた気持ち悪いが、とにかく安静にするほかないだろう。今週は動きの多い一週間だった。
さて。
16日。帰国翌日ということで、作業は自宅で淡々と行う。速報的な値を出そうと思ったが、昨晩の自分は非常に愚かしいことにPCを持ち帰りながら充電器を研究室に置いてきてしまったため、バッテリーの稼働する6時間程度のみしかメインPCで作業できず。データのコンバートに非常に時間がかかり、ほぼそれだけで終わってしまった。その他、渡航中に入っていた仕事をちゃっちゃと片付けて速報データを作るなど。
17日。バッテリーのために?研究室へ赴く。とりあえず作業。ひたすら作業。そこそこ進んだが、そこまで進まず、といった感じか。少し心に余裕は出来たが。その他、雑務も片付ける。久々に夕飯は一人ぼっち。普段と違う、天井の高すぎる食堂での夕食に、何だか虚しい気持ちになる。それもそのはず、今日という日がそれだけ国にとって虚しい一日だったのだろう。
やれやれ。とはいえ、絶望はしていない。
17日。バッテリーのために?研究室へ赴く。とりあえず作業。ひたすら作業。そこそこ進んだが、そこまで進まず、といった感じか。少し心に余裕は出来たが。その他、雑務も片付ける。久々に夕飯は一人ぼっち。普段と違う、天井の高すぎる食堂での夕食に、何だか虚しい気持ちになる。それもそのはず、今日という日がそれだけ国にとって虚しい一日だったのだろう。
やれやれ。とはいえ、絶望はしていない。
14日。高層階だというのに、夜中にホテルの窓から蚊が侵入してきたらしく、身体の何箇所からも痒みを感じて目が覚める。10分ほどかけて退治した(2匹)が、いやはやデカい。はじめこれが本当に血を吸った犯人なのか疑ったほどである。恐ろしい。
そして朝からは調査。なかなか不具合も多く、しんどかったが、どうにかなったか。あっという間に夜になり、夕飯は半ば老人接待の様相w 流石に異邦人一人かつケータイもろくに繋がらず、の場面では、何も出来ることはなく、せいぜい野良猫と遊ぼうかと思ったがあまり相手をしてもらえなかった。
最後にバックアップの作業を終え、1時すぎに就寝。
15日。先輩に案内してもらいながら観光。市街地と歴史的なスポットを巡る。なかなか歩いた。靴ばかり売っている市場は個人的に非常に興味深い空間であったが、やはりシャッター街には及ばないな、という印象。その後デパート的なところのメンズフロアを見て、ちょっとだけ服を買う。
ばたばたと空港に引き返し、適当な食事を採り、搭乗。帰路はちょうどマジックアワーの終わりごろに着陸。羽田は航路の関係上、着陸がさほど怖くないので助かる。。最後の5分強、国内便とずっと同じ高度で並走していたのが不思議であった。夕闇迫る千葉の工業地帯の明かりは、やはり美しかった。
研究室に重荷を返し、帰宅は21時半頃。あっという間の非日常であった。
蚊に刺された計10箇所の腫れが全く引いていない。むしろ赤くなっているくらいである。あのサイズだったら毒も強いのだろうと納得できるが。
気付けば9月も半分が終わってしまった。
そろそろいろいろとまずいので、しっかりやらないといけない。
しかしまた目標が曖昧で、何処に向かったらいいのか今一つ理解出来ていない。困ったものである。
またもチューターの仕事が舞い込んできたようだ。仲良くなれれば良いが、、また腐った英語をどうにか使わなければいけない。リハビリしておかねば。
そして朝からは調査。なかなか不具合も多く、しんどかったが、どうにかなったか。あっという間に夜になり、夕飯は半ば老人接待の様相w 流石に異邦人一人かつケータイもろくに繋がらず、の場面では、何も出来ることはなく、せいぜい野良猫と遊ぼうかと思ったがあまり相手をしてもらえなかった。
最後にバックアップの作業を終え、1時すぎに就寝。
15日。先輩に案内してもらいながら観光。市街地と歴史的なスポットを巡る。なかなか歩いた。靴ばかり売っている市場は個人的に非常に興味深い空間であったが、やはりシャッター街には及ばないな、という印象。その後デパート的なところのメンズフロアを見て、ちょっとだけ服を買う。
ばたばたと空港に引き返し、適当な食事を採り、搭乗。帰路はちょうどマジックアワーの終わりごろに着陸。羽田は航路の関係上、着陸がさほど怖くないので助かる。。最後の5分強、国内便とずっと同じ高度で並走していたのが不思議であった。夕闇迫る千葉の工業地帯の明かりは、やはり美しかった。
研究室に重荷を返し、帰宅は21時半頃。あっという間の非日常であった。
蚊に刺された計10箇所の腫れが全く引いていない。むしろ赤くなっているくらいである。あのサイズだったら毒も強いのだろうと納得できるが。
気付けば9月も半分が終わってしまった。
そろそろいろいろとまずいので、しっかりやらないといけない。
しかしまた目標が曖昧で、何処に向かったらいいのか今一つ理解出来ていない。困ったものである。
またもチューターの仕事が舞い込んできたようだ。仲良くなれれば良いが、、また腐った英語をどうにか使わなければいけない。リハビリしておかねば。
12日。出発準備のあと、午後から出掛ける。まあ、ばたばたとしている。巨大な空虚が眼前にあるというのに、どうもそれを見ないようにしている。過ちは繰り返すのかもしれない。
13日。調査へ、出国。今日はただの移動日である。思えば一人で飛行機に搭乗するのは初めてだった。やはり着陸は嫌いである。。
現地で先輩たちと合流、夕飯は先輩の友人なる人々と。
・はじめて女性に間違われた。
・はじめてポンテギを食した。海老みたいな感じか。
・こっちの国のほうがモテそうであるw(まあ中身がダメか)
子供とも話したが、いやはや、教育の力は恐ろしい。
ふと寝る前、教育の現場についた知人のことを考える。
その人々の中に、僕はたしかに反知性主義、反教養主義のようなものを見たのだった。またさらに恐ろしくなった。
無自覚の無知の怖さを、このところ痛感する出来事が多い。
無論、油断などしている場合ではない、自分にも少なからず当てはまるのだろう。
13日。調査へ、出国。今日はただの移動日である。思えば一人で飛行機に搭乗するのは初めてだった。やはり着陸は嫌いである。。
現地で先輩たちと合流、夕飯は先輩の友人なる人々と。
・はじめて女性に間違われた。
・はじめてポンテギを食した。海老みたいな感じか。
・こっちの国のほうがモテそうであるw(まあ中身がダメか)
子供とも話したが、いやはや、教育の力は恐ろしい。
ふと寝る前、教育の現場についた知人のことを考える。
その人々の中に、僕はたしかに反知性主義、反教養主義のようなものを見たのだった。またさらに恐ろしくなった。
無自覚の無知の怖さを、このところ痛感する出来事が多い。
無論、油断などしている場合ではない、自分にも少なからず当てはまるのだろう。