16日。疲労蓄積のため自宅作業、としたかったのだが、書類提出などが必要だったので午後から大学へ場所を移して作業。疲れた。何とかなったかな。作業効率は良くなかったのは確か。
17日。会議、大掃除。根源から埃を絶ちましょうよ。こねくりまわすインチキ掃除しか出来ないのね、みんな。イライラこそしないけど、うーん。些細なことでも「大局観」が無い人は、どうしてもどこか軽蔑してみてしまう癖がある。おそらく、認知の問題なのだろう。見えていないものは見えないのだ。とすると自分の中にもそういう事があるに違いないから、日々考え、見るのみ。
午後は作業。効率が低い。夕飯前に何とかタスクを片付けて帰宅。
大局観にも関わるが、ヲタには2タイプ居るのではないかと思う。一つは対象に対して視野狭窄的にのめり込んで、自分の周囲ならびに対象物の周囲をシャットアウトしてゆくタイプ。もう一つは対象物を俯瞰視点、全能の視点から見ようとして、対象への知識を掘り下げながらも視覚を拡げてゆくタイプ。狭義のヲタは前者なのだろうが、僕は何事においても後者のような見方をしているし、後者のほうが知的であってほしいと願っている。
そこで思うのは、全能視点を持ちたいというのは単純に学習的興味なのではないかということ。幕末の若人が外国を見たいと思ったのは、国内についての勉強が比較的すんなり片付いたからではなかろうか。現代でこそ国内の産業や文化風土など多様化が進みかつアクセシビリティが向上し、きりがないほどの情報が溢れているため、それだけで際限が無くなっている。僕自身やはり最終目標は近現代史を産業・インフラの観点からすべて叩き込んで、かつ建築・鉄道の双方とリンク付けて、4次元的に俯瞰した知を入手することだと思っていて、これは単純な知への興味なのだろう。もっと知りたい、と思うこと。これは冷静に考えると「ヲタク」ではない。特定分野に偏重した知識を持つ人への呼称が「ヲタク」なのだとしても、それが総合知を目指す途中段階なのだとしたら、それは「ヲタク」になりうるのか。対象物への愛の重さに関係しているのかもしれないが、もう少し考察が必要そうだ。
もしかすると僕は全く「ヲタク」ではないのかもしれないな、と思う。
17日。会議、大掃除。根源から埃を絶ちましょうよ。こねくりまわすインチキ掃除しか出来ないのね、みんな。イライラこそしないけど、うーん。些細なことでも「大局観」が無い人は、どうしてもどこか軽蔑してみてしまう癖がある。おそらく、認知の問題なのだろう。見えていないものは見えないのだ。とすると自分の中にもそういう事があるに違いないから、日々考え、見るのみ。
午後は作業。効率が低い。夕飯前に何とかタスクを片付けて帰宅。
大局観にも関わるが、ヲタには2タイプ居るのではないかと思う。一つは対象に対して視野狭窄的にのめり込んで、自分の周囲ならびに対象物の周囲をシャットアウトしてゆくタイプ。もう一つは対象物を俯瞰視点、全能の視点から見ようとして、対象への知識を掘り下げながらも視覚を拡げてゆくタイプ。狭義のヲタは前者なのだろうが、僕は何事においても後者のような見方をしているし、後者のほうが知的であってほしいと願っている。
そこで思うのは、全能視点を持ちたいというのは単純に学習的興味なのではないかということ。幕末の若人が外国を見たいと思ったのは、国内についての勉強が比較的すんなり片付いたからではなかろうか。現代でこそ国内の産業や文化風土など多様化が進みかつアクセシビリティが向上し、きりがないほどの情報が溢れているため、それだけで際限が無くなっている。僕自身やはり最終目標は近現代史を産業・インフラの観点からすべて叩き込んで、かつ建築・鉄道の双方とリンク付けて、4次元的に俯瞰した知を入手することだと思っていて、これは単純な知への興味なのだろう。もっと知りたい、と思うこと。これは冷静に考えると「ヲタク」ではない。特定分野に偏重した知識を持つ人への呼称が「ヲタク」なのだとしても、それが総合知を目指す途中段階なのだとしたら、それは「ヲタク」になりうるのか。対象物への愛の重さに関係しているのかもしれないが、もう少し考察が必要そうだ。
もしかすると僕は全く「ヲタク」ではないのかもしれないな、と思う。
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