声/バランス

2015年4月5日 日常
4日。昼過ぎまで寝て、午後に作業を進めようと考えていたのだが、結局ゴールがそこそこ近くにあることに気付いたのと、ここ半月以上分の疲労がかなり蓄積されていたこともあって、一日何もせずリフレッシュに専念。このような使い方に罪悪感をおぼえなくなったのは成長だと我ながら思う。正当化とかそういうものではなく、とにかく長い目で見たときに何がプラスかということ。より良い生き方は、まだまだあるのだろうけど。

個人的に4日はりーちゃん生誕祭でめでたい気分ではあったのだが、つんくからの正式発表は流石に泣きそうになった。というか泣いてたか。思えば彼の声が生んだ物に惹かれそして彼の声に惹かれ、はや十年近くが経とうとしている。(もっとも世の中にはもっと古いファンが居るのだろうけど、僕の年齢を考えれば、パーセンテージとして非常に大きい訳だから、その辺りは甘く見ていただきたい。)もっとあの唯一無二の楽器を楽しみたかった。そして第二のベリーズが産まれ育つ時をともに生きてみたかった。残念でならない。

残念とばかり言っても思っても仕方ないのだが。生きる道を選んだ彼を、本当に人間として尊敬します。これからも明るい未来が待っていてほしいし、彼が明るい未来を生きながら生み出す物が明るく僕達の未来を照らす事を願っています。

夕方にはTo Youを聴いてまた泣きそうになったり。


5日。昨日の休息のおかげで疲労は抜けたので、ひたすら作業。図面がなかなか時間を要し、ほぼ一日がかりで修正完了。明日微調整して提出すれば完了と。夜には雑務を片付けて、時間と体力があれば27日の写真整理も少し始めたいところ。珍しく当日更新なので、現在進行形になってしまったw

今は明るいフェーズに戻ってきたのだが、5日は久々に気分が乱高下。全力で駆けた後、少し余裕が出来た瞬間というのがもっとも怖いのは、過去から十分に学んでいるが。
タスクをこなすだけの単調な日々だとか、変化を嫌いルーティーンを自ら作る日々だとか、生きていると自然とリズムが出来てきて楽しくなってくるある種の「モード」は確実に存在するが、反復が楽しくなるというのは脳が楽をしているだけである。結局それは「低いほう」に流れた証だ。もっとも高みばかりを見て一歩も進まないのでは元も子もないのだが、ただただ低いほうへむやみに進んではいけない。勢いをつけるのは何より肝心であるが、その勢いをもって何処へ進むのか。そこで生まれたエネルギーを、ただ摩擦熱として宙へ放つだけで、そのような人生で本当に良いのか。結局バランスなのだ。乱高下するのは、自分の中でこのバランス機構が思いのほか強く確立されているからなのだろう。時に重苦しくて操りようのない理性のお陰か。

この単調な日々を生きながら、本質を探せ。真実を見極めろ。

というのは少し難しいのかもしれない。日々の勢いを保ちながら、日々を単調にしない事こそ、僕がとるべき道か。定速走行は何も生み出さない。幸か不幸か、今の僕の走る鉄路からの景色は見渡す限り荒野のようで、命の気配も少なく、信号機も無い。ただ僕が走りたいように走れる。この自由という名の重圧のもとで、どこかに在る筈の街までどう走るのか。
頃合いを見計らって、自分に揺さぶりをかけたいと思う。というか、必ずそうしなければならないと思う。

とはいえ4月上・中旬は鬼の仕業。
やはりすべてはタイミングとバランスだ。

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