中部・北陸旅行 5日目 妙高撮影
2015年2月15日 日常高田にて一夜を明かした。新井発のくびき野がR編成なので、こちらは捨てることとした。そのため起床時間はなんと6時半頃、余裕の幕開けである。
0707高田 クモハ115-1521
当初計画では関山~二本木の撮影地で一日を過ごそうかと思っていた。脇野田、北新井、新井まではそうでもなかったのだが、新井を過ぎると気候が一気に急変するようで、たちまち沿線の積雪が尋常ではない高さになった。「軒まで雪の降り積むと聞きし高田はここなれや」鉄道唱歌北陸編の言うとおりではあるが、実際に凄まじいのは信越国境付近である。嘗てここで国が分かれていたのも頷ける。
そして今日も降雪が続いているので、視界がかなり不明瞭である。車内から見ると、関山付近の撮影地へのアクセスも恐ろしく悪そうで、スノーシュー無しでは到底辿り着けそうにない雰囲気であった。そこで今日の撮影は黒姫付近でどうにかする事に決める。
■撮影リスト
・2375M(115系)
・妙高1号(189系国鉄色)
・344M(115系)
黒姫駅で下車。相変わらず降雪が続く。鈍行2375Mで練習し、4本の妙高のうちの1発目となる1号はホーム撮りにした。乗降客も居て、それなりの絵にはなったか。逆向きの344Mもホーム撮り。雪の効果で、115系の側面が黒光りしたのは実に美しかった。鋼鉄車ならではの美しさである。
後から聞いた話によると、ここの駅そばも3月に無くなるという。構内の女子トイレから、換気口を通してホースで水を引き、使っているようである。このような日常の風景が無くなるのも、時代の流れとはいえ、本当に仕方のない事なのだろうか。何もかも低いほう、簡単なほう、楽なほうへと流れてゆくのは、文明の発展の中で本当に仕方のないことなのだろうか?誰もブレーキをかけることの出来ない大きなモーメンタムに、僕もまた呑み込まれている一員なのだろう。
■撮影リスト
・妙高4号(189系国鉄色)
20分ほど歩き、黒姫山が背景に来る跨線橋の定番撮影地に来た。案の定、視界には何もないw 線路がかろうじて見えているだけマシである。列車通過までの間も断続的な降雪が続き、どうにか通過時には止んでくれと願ったが、叶わなかった。列車は吹雪の中を突っ走っていった。スノープラウからV字に雪が蹴り飛ばされる様は本当は美しいのだが、それ以前に降雪量が多くて、写るものも写らない。
1日にまともに撮れるものが4本程度しかないと、1人では非常に辛い。とりあえずこの撮影の後は近くの物産館…という看板の立つ老人ホームのような所のエントランスで雪をしのぎ、しばらく座って休憩。
■撮影リスト
・妙高3号(189系国鉄色)
意を決して、黒姫の定番撮影地の奥側にあるというアウトカーブのスポットを訪れる。一度道を全く間違えて、完全な無駄足を踏んだ。疲れにより遂に地図まで読み違えたようである。気を取り直して歩いてアクセスを試みるも、アクセスとなる歩行者専用道と踏切は積雪に完全に閉ざされていた。
諦めて近場の踏切で顔の正面打ちでもしようと道を引き返していると、同世代の一人の撮影者が居た。「妙高ですか?」と声をかけると、そうだという。このあたりに精通しているようなオーラを感じたので、「奥のアウトカーブの所に行こうかと思ったんですが閉ざされてしまってて」と伝えると、「スノーシュー貸しましょうか?」と言うではないか。折角なのでありがたく貸していただいて、撮影後の合流も打ち合わせ、互いの健闘を祈って一度別れる。撮影先でこのような有難い同業に会うのはなかなかないので、驚きながらも、とにかく感謝するのみである。
スノーシューを装着し…たのだが、紐の結び方の勝手が正直よく分からなかったw 全く使ったことがなかったし、調べる余裕もない。とりあえず中途半端な結び方で、多少の使用には耐えられるであろう感じで挑んだのだが、雪質の問題か、スノーシューを使ってもずいぶんと沈み込むではないか。あれよあれよとひざ上まで雪に埋もれ、スノーシューの意味すらなくなった。さあどうする。もう直進するしかない。半ば四足歩行状態で、どうにか雪を踏み固めながら前へ進む。もともと何処に道があるのかも分からないので、とにかく踏み抜かないように細心の注意を払いながら進んだ。ただし空撮の情報ではこの辺りは特に何もない更地なようなので、割と大胆に進んでしまった(今考えると恐ろしい)。
本当に息が上がるほど体力を使ったが、なんとか踏切まで到達。警報機のランプのあたりまで雪が積もっているので、警報機の左右どちらが踏切なのかすら分からないw そして警報も冬の間は鳴らない仕様のようで、いつ列車が来るかも分からない。対岸にも身長を超すくらいの雪壁がせり立っている(この区間はラッセルによる除雪がなされるのでこのような形状になる)ので、単線とはいえ線路を渡るのも覚悟を要した。意を決して対岸の雪の擁壁にも四肢で挑み、そのまま法面を上がり撮影地に至った。雪にまみれながら、服の内側は汗が噴出していた。
さて何分列車が遅延するのかも分からないが、アングルを決めて準備していると、自分の作った道をヲタが一人、悠々とこちらへ歩いてくるではないか。こやつは到着して法面には上らず線路際で構えた。こちらの存在にも気付いているようだが、挨拶一つしない姿勢には少々ムッとする。インフラ整備って本当は偉大な事なんだぞ、鉄道撮影していてそんな事にも気付けないのかおまえは、など、悪態は付き出せばきりがないw
最近、ヲタの質が低下してやいないか?線区によりヲタの質も違うのはいつも感じているのだが、なんだか感じの悪い、いわゆる「コミュ障」的な人間が増えている気がする。まあ、なんでもいいのだが、トラブルだけは起こしたくない、そして起こしてほしくないものである。あいづライナーのタイフォンに接着剤を塗ったりしないでいただきたいものだw
程無くして全く別な方角から撮影者がやってきた。こちらは中年2人組で、挨拶もしてくれる。こういう、慣れた感じのヲタは、だいたいにおいて愛想がいいのは何故なのか。
(いまこの日記の執筆時に、ふと10年ほど前に都賀駅で変なヲタにからまれたのを思い出したw)
メイン機で広角のアングルを決め、折角なのでもう1台つかって望遠で切り抜こうかと考えていると遠くの踏切が鳴り、なんともう来たw 2人組のほうもあわてた様子で「やばい来た来た」と騒いでいた。そう、予定では上りの普通列車が行ってから下りの妙高が通過する予定だったのだ。遅延の影響で入れ替わったらしい。妙高は結局数分遅れで通過したことになった。セッティングしてあったメイン機で無事に撮影。普段から手持ち撮影だと、こういう時にも困らないのはメリットの一つでもある。
撮影が終わった後、作った道を再び引き返す。帰りのほうが遥かに楽である。ああ、帰りは楽だ…さあついた、と思った瞬間。思い切り左足で踏み抜いて、腰上まで雪に埋まった。思わず「わっ!!」と声を出してしまったので、撮影地に残っている人々に聞かれてしまったかもしれないw 幸い咄嗟に右膝に体重をかけ(こうすれば絶対に全身は埋もれない)ていたので、左足を引き上げると、なるほど道路と田畑の間の段差部分が空洞になっていた。勢いをつけて雪に食らい付き、残り2mを再び四足歩行で突破。アスファルトを踏む感覚の、安定感。ようやく安心である。
スノーシューを貸してくれた同業の方と再合流。コンビニまで行くというので同行することに決め、いろいろと談笑。思えばここ数日ほとんど人と話していないので、その分話も弾む。地元の人間かと思っていたが神奈川在住のようで、信越線に足しげく通っているという。なかなかの好青年で、話も弾む。一見すると鉄道好きには見えない感じの風貌(というと鉄ヲタ差別かもしれないがww)で、そういった意味では世代的にも似た者同士の雰囲気をお互い感じていたようである。話を聞くと1歳下、社会人1年目とのこと。
結局そのまま大宮まで一緒の行程で回ることとなるw
1456古間 クモハ115-1038
コンビニが黒姫と古間のちょうど中間付近にあるので、そのまま古間駅まで歩き通した。古間の駅の待合室の角に棒が1本立っており、「海抜633m+この棒1m=スカイツリー634m」的な事が書かれているwww なんというか、「この棒」という発想がまず凄いし、そもそもスカイツリーの海抜は無視していのかとか、ツッコミどころが多すぎて、しばらく爆笑。
乗車券は硬券風の切符で(これは正式名称は何というのだろう?)、いい記念になった。
■撮影リスト
・妙高6号(189系国鉄色)
普通列車で古間から妙高高原まで戻り、複線区間のアウトカーブの撮影地で最後の撮ることに。ここまで駅から徒歩13分ほど。
相変わらず雪壁が高くそびえたっていたが、切り崩して登るのはさっき嫌と言うほどやったので、お手の物w あっという間にお立ち台を作る。1mほど後ろに謎のケーブルが鉛直方向に走っており、よくよく見ると上端付近に碍子が付いている。もしやこれ、通電しているのか!?足元が見えないので何が起きているのか良く分からない。とにかくこれには絶対に触れないように気を付けながら、警報機のランプの高さから若干俯角を付けてアウトカーブで編成撮影。バッチリと決めた、会心の一撃。この長い撮影行の最後の本番、絶対に外せないというプレッシャーよりも、井の頭線で鍛えたアウトカーブ撮影への慣れのほうが勝ったようである。こうしてすべての撮影が終了。
妙高高原駅前の土産屋で、君の井・山廃 純米吟醸を購入。もう荷物が重くなっても苦しくはない。そもそも富山と直江津と黒姫のコンビニとでカップ酒を買い溜めていて、ここでも松尾を調達したので、カップ×6+4合瓶である。重いw
店では笹団子も食べる。疲れた体に、甘く温かいものが染みる。
1638妙高高原 115系 車番記録忘れ
1730長野 あさま542号 E2系(車番記録忘れ)
駅はスキー客と思しき団体でずいぶんと賑わっていた。3両編成は半ば満員状態で妙高高原駅を経つ。
その後も同業N氏といろいろな話をしたり、聞いたり。その中でも印象的だったのは、撮影はやはり写真自体とその体験の2つ揃って初めて良い物になるという話。全く同じような事を常日頃思っていたので、こういう話が出て来るのは嬉しい限りであった。
長野駅では新幹線試乗会が行われていて、E7系がホームに鎮座していた。要は「自民党支持者」みたいな集団であろうかw
新幹線の自由席はかなり満員に近かったが、3人掛けの席がかろうじて1つ空いていた。浅間山は雲に隠れて見えなかったが、日没間際の車窓には青空が広がり、長野の市街地の上で暮れなずんでいた。
その後も談笑。気付けばあっという間に大宮着。ここでN氏と別れる。思えば6時間ほど一緒に居たことになる。ここまで長い時間を共にした同業者はおそらく初である。いい思い出になった。
1859大宮 モハE230-3542
1934新宿 クハE233-3
湘南新宿ラインが良い時間にあった。最初は立っていたが、途中から座り、うつらうつらとする。列車とすれ違ってふと目覚め「何かな」と確認すると山手線のE231系。この瞬間、遂に東京に帰ってきてしまったことを痛感した。新宿で乗り換え、最寄りに到着。大戸屋で夕飯を食し、21時前に帰宅した。
一週間の旅程、ここに完結。
なかなか余裕もなく、頭も身体も使い続ける旅程だったので、何か心で感じたり考えたりする機会が少なかったのは残念である。特に日本海を殆ど見ることが無いまま終わってしまったのも心残りである。なのであまり締めに書く事が出て来ないが…
旅で立ち会った場面すべて、1ヶ月後には過去になってしまうと思うとやはり残念である。妙高の撮影ならばもう一度来ることも可能だろうか。3月の雪晴れとか、突貫旅程でトライしても良いのかもしれない。関山二本木へのリベンジ、果たせるなら果たすのも良いかもしれない。
とにかく、北陸本線金沢以東・信越本線直江津以南の最後の一ページに立ち会えた事を幸せに思う限りである。
基本的にもう未練は消せたと思うし、いよいよ鉄道趣味も終焉が近いようだ。無くなるばかり、残念な事ばかりである。めっきり旅行へのモチベーションも低下してしまいそうである。来年度はどうしようか…あまり案が浮かんでこない。
いずれにせよ、これからの事はゆっくりと考えてゆくとしよう。
5514文字
0707高田 クモハ115-1521
当初計画では関山~二本木の撮影地で一日を過ごそうかと思っていた。脇野田、北新井、新井まではそうでもなかったのだが、新井を過ぎると気候が一気に急変するようで、たちまち沿線の積雪が尋常ではない高さになった。「軒まで雪の降り積むと聞きし高田はここなれや」鉄道唱歌北陸編の言うとおりではあるが、実際に凄まじいのは信越国境付近である。嘗てここで国が分かれていたのも頷ける。
そして今日も降雪が続いているので、視界がかなり不明瞭である。車内から見ると、関山付近の撮影地へのアクセスも恐ろしく悪そうで、スノーシュー無しでは到底辿り着けそうにない雰囲気であった。そこで今日の撮影は黒姫付近でどうにかする事に決める。
■撮影リスト
・2375M(115系)
・妙高1号(189系国鉄色)
・344M(115系)
黒姫駅で下車。相変わらず降雪が続く。鈍行2375Mで練習し、4本の妙高のうちの1発目となる1号はホーム撮りにした。乗降客も居て、それなりの絵にはなったか。逆向きの344Mもホーム撮り。雪の効果で、115系の側面が黒光りしたのは実に美しかった。鋼鉄車ならではの美しさである。
後から聞いた話によると、ここの駅そばも3月に無くなるという。構内の女子トイレから、換気口を通してホースで水を引き、使っているようである。このような日常の風景が無くなるのも、時代の流れとはいえ、本当に仕方のない事なのだろうか。何もかも低いほう、簡単なほう、楽なほうへと流れてゆくのは、文明の発展の中で本当に仕方のないことなのだろうか?誰もブレーキをかけることの出来ない大きなモーメンタムに、僕もまた呑み込まれている一員なのだろう。
■撮影リスト
・妙高4号(189系国鉄色)
20分ほど歩き、黒姫山が背景に来る跨線橋の定番撮影地に来た。案の定、視界には何もないw 線路がかろうじて見えているだけマシである。列車通過までの間も断続的な降雪が続き、どうにか通過時には止んでくれと願ったが、叶わなかった。列車は吹雪の中を突っ走っていった。スノープラウからV字に雪が蹴り飛ばされる様は本当は美しいのだが、それ以前に降雪量が多くて、写るものも写らない。
1日にまともに撮れるものが4本程度しかないと、1人では非常に辛い。とりあえずこの撮影の後は近くの物産館…という看板の立つ老人ホームのような所のエントランスで雪をしのぎ、しばらく座って休憩。
■撮影リスト
・妙高3号(189系国鉄色)
意を決して、黒姫の定番撮影地の奥側にあるというアウトカーブのスポットを訪れる。一度道を全く間違えて、完全な無駄足を踏んだ。疲れにより遂に地図まで読み違えたようである。気を取り直して歩いてアクセスを試みるも、アクセスとなる歩行者専用道と踏切は積雪に完全に閉ざされていた。
諦めて近場の踏切で顔の正面打ちでもしようと道を引き返していると、同世代の一人の撮影者が居た。「妙高ですか?」と声をかけると、そうだという。このあたりに精通しているようなオーラを感じたので、「奥のアウトカーブの所に行こうかと思ったんですが閉ざされてしまってて」と伝えると、「スノーシュー貸しましょうか?」と言うではないか。折角なのでありがたく貸していただいて、撮影後の合流も打ち合わせ、互いの健闘を祈って一度別れる。撮影先でこのような有難い同業に会うのはなかなかないので、驚きながらも、とにかく感謝するのみである。
スノーシューを装着し…たのだが、紐の結び方の勝手が正直よく分からなかったw 全く使ったことがなかったし、調べる余裕もない。とりあえず中途半端な結び方で、多少の使用には耐えられるであろう感じで挑んだのだが、雪質の問題か、スノーシューを使ってもずいぶんと沈み込むではないか。あれよあれよとひざ上まで雪に埋もれ、スノーシューの意味すらなくなった。さあどうする。もう直進するしかない。半ば四足歩行状態で、どうにか雪を踏み固めながら前へ進む。もともと何処に道があるのかも分からないので、とにかく踏み抜かないように細心の注意を払いながら進んだ。ただし空撮の情報ではこの辺りは特に何もない更地なようなので、割と大胆に進んでしまった(今考えると恐ろしい)。
本当に息が上がるほど体力を使ったが、なんとか踏切まで到達。警報機のランプのあたりまで雪が積もっているので、警報機の左右どちらが踏切なのかすら分からないw そして警報も冬の間は鳴らない仕様のようで、いつ列車が来るかも分からない。対岸にも身長を超すくらいの雪壁がせり立っている(この区間はラッセルによる除雪がなされるのでこのような形状になる)ので、単線とはいえ線路を渡るのも覚悟を要した。意を決して対岸の雪の擁壁にも四肢で挑み、そのまま法面を上がり撮影地に至った。雪にまみれながら、服の内側は汗が噴出していた。
さて何分列車が遅延するのかも分からないが、アングルを決めて準備していると、自分の作った道をヲタが一人、悠々とこちらへ歩いてくるではないか。こやつは到着して法面には上らず線路際で構えた。こちらの存在にも気付いているようだが、挨拶一つしない姿勢には少々ムッとする。インフラ整備って本当は偉大な事なんだぞ、鉄道撮影していてそんな事にも気付けないのかおまえは、など、悪態は付き出せばきりがないw
最近、ヲタの質が低下してやいないか?線区によりヲタの質も違うのはいつも感じているのだが、なんだか感じの悪い、いわゆる「コミュ障」的な人間が増えている気がする。まあ、なんでもいいのだが、トラブルだけは起こしたくない、そして起こしてほしくないものである。あいづライナーのタイフォンに接着剤を塗ったりしないでいただきたいものだw
程無くして全く別な方角から撮影者がやってきた。こちらは中年2人組で、挨拶もしてくれる。こういう、慣れた感じのヲタは、だいたいにおいて愛想がいいのは何故なのか。
(いまこの日記の執筆時に、ふと10年ほど前に都賀駅で変なヲタにからまれたのを思い出したw)
メイン機で広角のアングルを決め、折角なのでもう1台つかって望遠で切り抜こうかと考えていると遠くの踏切が鳴り、なんともう来たw 2人組のほうもあわてた様子で「やばい来た来た」と騒いでいた。そう、予定では上りの普通列車が行ってから下りの妙高が通過する予定だったのだ。遅延の影響で入れ替わったらしい。妙高は結局数分遅れで通過したことになった。セッティングしてあったメイン機で無事に撮影。普段から手持ち撮影だと、こういう時にも困らないのはメリットの一つでもある。
撮影が終わった後、作った道を再び引き返す。帰りのほうが遥かに楽である。ああ、帰りは楽だ…さあついた、と思った瞬間。思い切り左足で踏み抜いて、腰上まで雪に埋まった。思わず「わっ!!」と声を出してしまったので、撮影地に残っている人々に聞かれてしまったかもしれないw 幸い咄嗟に右膝に体重をかけ(こうすれば絶対に全身は埋もれない)ていたので、左足を引き上げると、なるほど道路と田畑の間の段差部分が空洞になっていた。勢いをつけて雪に食らい付き、残り2mを再び四足歩行で突破。アスファルトを踏む感覚の、安定感。ようやく安心である。
スノーシューを貸してくれた同業の方と再合流。コンビニまで行くというので同行することに決め、いろいろと談笑。思えばここ数日ほとんど人と話していないので、その分話も弾む。地元の人間かと思っていたが神奈川在住のようで、信越線に足しげく通っているという。なかなかの好青年で、話も弾む。一見すると鉄道好きには見えない感じの風貌(というと鉄ヲタ差別かもしれないがww)で、そういった意味では世代的にも似た者同士の雰囲気をお互い感じていたようである。話を聞くと1歳下、社会人1年目とのこと。
結局そのまま大宮まで一緒の行程で回ることとなるw
1456古間 クモハ115-1038
コンビニが黒姫と古間のちょうど中間付近にあるので、そのまま古間駅まで歩き通した。古間の駅の待合室の角に棒が1本立っており、「海抜633m+この棒1m=スカイツリー634m」的な事が書かれているwww なんというか、「この棒」という発想がまず凄いし、そもそもスカイツリーの海抜は無視していのかとか、ツッコミどころが多すぎて、しばらく爆笑。
乗車券は硬券風の切符で(これは正式名称は何というのだろう?)、いい記念になった。
■撮影リスト
・妙高6号(189系国鉄色)
普通列車で古間から妙高高原まで戻り、複線区間のアウトカーブの撮影地で最後の撮ることに。ここまで駅から徒歩13分ほど。
相変わらず雪壁が高くそびえたっていたが、切り崩して登るのはさっき嫌と言うほどやったので、お手の物w あっという間にお立ち台を作る。1mほど後ろに謎のケーブルが鉛直方向に走っており、よくよく見ると上端付近に碍子が付いている。もしやこれ、通電しているのか!?足元が見えないので何が起きているのか良く分からない。とにかくこれには絶対に触れないように気を付けながら、警報機のランプの高さから若干俯角を付けてアウトカーブで編成撮影。バッチリと決めた、会心の一撃。この長い撮影行の最後の本番、絶対に外せないというプレッシャーよりも、井の頭線で鍛えたアウトカーブ撮影への慣れのほうが勝ったようである。こうしてすべての撮影が終了。
妙高高原駅前の土産屋で、君の井・山廃 純米吟醸を購入。もう荷物が重くなっても苦しくはない。そもそも富山と直江津と黒姫のコンビニとでカップ酒を買い溜めていて、ここでも松尾を調達したので、カップ×6+4合瓶である。重いw
店では笹団子も食べる。疲れた体に、甘く温かいものが染みる。
1638妙高高原 115系 車番記録忘れ
1730長野 あさま542号 E2系(車番記録忘れ)
駅はスキー客と思しき団体でずいぶんと賑わっていた。3両編成は半ば満員状態で妙高高原駅を経つ。
その後も同業N氏といろいろな話をしたり、聞いたり。その中でも印象的だったのは、撮影はやはり写真自体とその体験の2つ揃って初めて良い物になるという話。全く同じような事を常日頃思っていたので、こういう話が出て来るのは嬉しい限りであった。
長野駅では新幹線試乗会が行われていて、E7系がホームに鎮座していた。要は「自民党支持者」みたいな集団であろうかw
新幹線の自由席はかなり満員に近かったが、3人掛けの席がかろうじて1つ空いていた。浅間山は雲に隠れて見えなかったが、日没間際の車窓には青空が広がり、長野の市街地の上で暮れなずんでいた。
その後も談笑。気付けばあっという間に大宮着。ここでN氏と別れる。思えば6時間ほど一緒に居たことになる。ここまで長い時間を共にした同業者はおそらく初である。いい思い出になった。
1859大宮 モハE230-3542
1934新宿 クハE233-3
湘南新宿ラインが良い時間にあった。最初は立っていたが、途中から座り、うつらうつらとする。列車とすれ違ってふと目覚め「何かな」と確認すると山手線のE231系。この瞬間、遂に東京に帰ってきてしまったことを痛感した。新宿で乗り換え、最寄りに到着。大戸屋で夕飯を食し、21時前に帰宅した。
一週間の旅程、ここに完結。
なかなか余裕もなく、頭も身体も使い続ける旅程だったので、何か心で感じたり考えたりする機会が少なかったのは残念である。特に日本海を殆ど見ることが無いまま終わってしまったのも心残りである。なのであまり締めに書く事が出て来ないが…
旅で立ち会った場面すべて、1ヶ月後には過去になってしまうと思うとやはり残念である。妙高の撮影ならばもう一度来ることも可能だろうか。3月の雪晴れとか、突貫旅程でトライしても良いのかもしれない。関山二本木へのリベンジ、果たせるなら果たすのも良いかもしれない。
とにかく、北陸本線金沢以東・信越本線直江津以南の最後の一ページに立ち会えた事を幸せに思う限りである。
基本的にもう未練は消せたと思うし、いよいよ鉄道趣味も終焉が近いようだ。無くなるばかり、残念な事ばかりである。めっきり旅行へのモチベーションも低下してしまいそうである。来年度はどうしようか…あまり案が浮かんでこない。
いずれにせよ、これからの事はゆっくりと考えてゆくとしよう。
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