自分より大きなもの、自分を取り巻くもの、
自分一人では作れないと分かり切ったものが好きなのだろうか。
そして、それを小さく、自分の手中に再現することが、
永遠の「夢」なのだろうか。
何故そうなったのかは、未だ良く分からないが。


幼少期にプラレール、ミニカー、LEGOで遊んだ時の、心の躍動。
視点を下げつつその世界に溶け込もうとする瞬間の歓び。
箱庭への異常なほどの憧れ。
(プラレールのカーブにはご丁寧にLEGOの薄板を敷いて、カントを再現していたっけ。我ながら、素質あるよな。)

全能の視点を持ちたいという欲求。
これは生まれ落ちた時に既に持っていた、嗜好の基壇なのかもしれない。


藤子先生も同じだったのではないだろうか、
「地下鉄をつくっちゃえ」「ラジコン大海戦」「大空中戦」「ミニカー教習所」「しあわせのお星さま」「ぼうけんパラシュート」「超大作特撮映画『宇宙大魔神』」など、根拠となる作品は挙げればきりがない。オチなんか大して重要でなくて、結局はその設定自体が読者の「夢」を叶えるものであり、これは著者自身の夢を叶えた物としか思えない。

「ホーム・メイロー」、「四次元たてましブロック」の名も、筋から少しずれるが一応ここに書いておく。
挙げたのは結局のところ、幼少期に異常なほどわくわくした作品たちなのだが。


パセリすら木に見えて仕方がなくて「ワクワク」の対象だった私。
夢と現実を知った今この歳になって見ても、
烏山線沿線で見たニンジンの葉にはやはり「ワクワク」を感じずにはいられなかった。


きっと物心が付くか付かないかのうちから、「世界」が好きだったのだろう。
己を取り巻く、物に溢れた、巨大で絶対の「世界」が。
それを直接俯瞰するのではなく、自分で再現したい、
いや正確にいえば作ってみたいと、無意識に思った。
これが「夢」の起源というか、原型だったのだろう。いや、過去形ではないか。

プレステ版のチョロQは好きで、GTはあまり好きではなかったのも、
もしかすると同じように説明が付くかもしれない。

そういえば「A列車で行こう」をプレステ版で一時期やっていた。
実に楽しく、経営など上手くいったためしは無かったのだが、常に「ワクワク」していたのを思い出す。
子供の手では叶えることの困難なこの夢を、
機械がある程度ルール付けをして、叶えさせてくれたのだから。
列車やバスの車載カメラの視点で見ることのできるムービーに、
いつも「ワクワク」していたのを覚えている。


その夢も、成長とともに毀れた。
小学校5~6年でプラモデルを作ったあたりで、大きな違和感に襲われたのを覚えている。急に現実が優位に立ったとでも言おうか、そんな感覚がしたのを。

このあたりで私は、実世界の中に自分の夢の名残を見出すようになっていったようだ。
小学校の帰路、通学路沿いの小川にペットボトルのキャップ―種類は実に豊富。今でもコレクションは残っている―を5個ほど流し、レースさせて観戦した日々。
視点が、ついにミクロレベルに行くことなく、全能の視点に固定された瞬間であるとも言えるだろうか。ようやく自分と世界とが、同一の次元に(というと語弊があるが)なったという認識が、無意識に芽生えたのだろうか。


中学に入ると鉄道という「現実」を自らの身体で追うようになった。
編成写真を中心とする、自分と同一スケールの絵に始まり、その視点は徐々に広角へ変化していった。今となっては、水平線や云十キロ先の遠景までを収めようとしている。自己の肥大に比例して、収めようとする世界の規模も大きくなっていったのだ。


幼き頃の「夢」は決して潰えていなかった。
思わぬ形で、二人だけの虚構世界に花を咲かせることとなったのである。
そう、あの虚構世界は、私にとってこういう意味付けが為されるのではないだろうか。現実世界ではコントロールしようのなくなった視点という要素を自ら排除し、夢を脳内に完結させるという、実に合理的な手段をとり、実現されたのではないかと思うのだ。


眠くなってきたので跳躍するが、
結局「写実」に拘るのも、もとよりこの世界が好きだから、
世界をそのまま見たいからではないか。
被写界深度をさほど重視しないという事すらも、こんな本質的なところに起因しているのではないだろうか。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索